15日は、お釈迦さまが亡くなられた日で、涅槃会(ねはんえ)と言います。
今年、福知山教会では、兵庫県丹波市地域の風習でもある花草団子を南支部の方達に、手作ってもらいながら、子ども達と一緒に作りました。花草だんごは、無病息災を願う意味があります。当日には参拝された方に持って帰ってもらいました。
初めて聞くことで、小さい頃には、学校が終わってからもらいに行ってたという話を聞きながら、子ども達は作るのに、「え~っ!」と面倒くさそうでしたが、エプロンと三角巾をつけるとやる気スイッチが、入ったようではりきって夢中で作っていました。
私が住んでいる地域は、昔ながらの風習などは全くないところなので、教会の皆さんのご縁を頂けて、体験させてもらえ、伝統を受けついだ楽しい時間を過ごさせてもらいました。
婦人部、少年部さん同士が、つながるきっかけをもらい、これからも、楽しいことをどんどんやって行こうと思いました。コロナにかかる人は、たまにいますが、コロナを理由に自粛は終わっていました。地域のお祭りも、再開して来ているので、波に乗り遅れないように、婦人部さんと共に楽しいことしながら、心も成長して行きたいな。と思いました。
次は、お雛さまのひし餅ならぬ、三色団子🍡作りです。どんな、出会いやドラマが始まるか楽しみです。
お手取りに行くと、そこの奥さんが
「今日は私が体調不良なので13時には主人に帰ってくるように言っていたのに、消防の訓練の後、そのまま飲み会に出かけてまだ帰ってきていない。」
その時、時刻は16時になっていました。
それを聞いて私は、
奥さんが怖くて帰ってこないのかな?
お酒が好きなご主人だし欲に負けて帰ってこれないのかな?
などと考えていましたが、
先日、私が高熱を出して寝込んだ時に旦那さんが一生懸命看病してくれたことを思い出しました。
食欲がない私にゼリーを買ってきたり、飲み物を枕元に持ってきてくれて、食欲が出てくるとおかゆを作ってくれました。
感謝しているつもりでしたが、感謝の言葉を伝えていなかったとそのお手取りでの縁で感じさせてもらいました。
しかし、その夜飲みすぎて帰ってきた旦那さんは気分が悪くトイレで戻したりしていましたが、優しい言葉かけをするでもなく、調子に乗って飲みすぎるからと相手を責める私でした。
高熱をだしたときには、心配して思いをかけてくれた相手に対して、それをお返しするわけでもなく、心配もしない冷たい私だなと気づかせてもらいました。
これも婦人部法座でお手取りの話をすることで、自分を見つめるきっかけとなりました。
自宅に帰ってから、旦那に体調不良の時に看病してもらった感謝と、飲みすぎて帰ってきて具合が悪いあなたに対して冷たい対応をしたことを謝罪しました。
旦那さんは話を聞きながら笑ってくれていました。
自分勝手な私ですが、サンガのおかげさまで自分の間違いに気づき反省する機会を頂いています。そんな私を受け止めてくれる素敵な旦那さんであることを時々忘れつつ、思い出させてもらいながら今後も自分の心を見つめていきます。
婦人部法座では、開祖さまに倣いて輪読をします。
1月は「仏性を発見する…懺悔(さんげ)」という項目でした。
懺悔することが重要であると、日々の法座などで知っていましたが、実際どうすればいいのだろうと思っていました。
懺悔とは、過去の行いを振り返って後悔することではなく、物事をありのまま見ることで、出来ず、仏さまの願いに気づけなかったことを懺悔するのです。
誤りを懺悔することで、自分の仏性に気づく事ができます。
不満が感謝に変換でき、問題は宝物に代わり喜びとなる。
『懺悔は喜び』
自分の見方が救われの世界を見る、仏の見方ができるようになってくる。
とご著書から教えて頂きました。
全ての現象は、仏さまから私が成長するために与えてくださっている事である。
分かっていながらも、自分に不都合なことに怒りを表したり、目をそらして見ないふりをしたり、逃げだしたりしてしまっています。
しかし、心を見つめ、仏さまの願いを感じ、どう見方を切り変えていくのかが重要であると思いました。
一人で心を見つめることは難しい事ですが、サンガに想いをありのまま懺悔することで、本当の自分を見つけてもらえるのだなと感じました。
法座では、根本議で学んだ不幸・幸せの3つの条件を教えてもらいました。
《不幸の3つの条件》
1.自分が嫌い
2.人のせいにする
3.他人と比較する
《幸せの3つの条件》
1.自分が好き
2.自分が努力する
3.ありのままの自分を認める
幸せになるためにも、懺悔して自分の本質を知り、そんな不完全な自分を認め、好きになっていかなければいけないなと思いました。