4月8日(月)は、お釈迦さまがお生まれになった日です。
福知山教会では、今年は甲辰(きのえたつ)の年にちなんで芽を出す、伸びる、生命力などの意味から種を撒いて、また苗を植えてそれぞれの支部の花を咲かせよう!と計画しました。支部ごとにテーマを決めて、教会の前に花を植えました。どんな鉢にするか、どんな花にするのかもおまかせです。
丹後支部
綾部支部
中央支部
南支部
北支部
東支部
新学期が始まりました。
子ども達は、早いもので息子は4年生と娘は6年生になりました。
前日、「明日の用意をしておきないよ。」と声をかけ、ぞうきん、洗濯バサミ・・・。と2人ともしていました。
クラス替えや新しい先生になるので、娘と友達がどんなメンバーなのか、不安な気持ちとワクワクする気持ちを話す中で、息子にも「楽しみ?」と、聞くと「○○君とは、嫌かな。」と言いました。「なんで?」と聞くと、「自分をこんなんできるか?と、見せてあおってくる。」と言います。「そうかぁ。腹立つなぁ。負けずにやって見せたらどう?」と伝えると「そうやな。」と言っていました。
あとから思うと幼稚園の頃から、ずーっと一緒で話せない息子のことを気にかけてくれる優しい子なので、一緒に遊ぼうと誘ってくれているんだな。と思いました。その後、息子に、そのことを伝えると「分かった。そうかも。」と笑顔で言っていました。
新学期の朝、私は出かけようとすると、息子の上履きを忘れているのを発見してしまいました。息子は、場面緘黙症があり、学校では話せません。こんな時間だから、どうにかしているだろうけど、以前上履きを忘れないで下さい。と先生からのお便りのことを思い出し、家から学校まで近いから持って行きました。でも新学期の朝に先生も、忙しいのに手をわずらわせてしまったな。と感じ、教会の朝礼に間に合うかと思いながら超特急で行きました。
落ちつくと、上履きを持って行った方が良かったのか、悪かったのか?とモヤモヤが出てきました。今までからも、母ちゃんは忘れ物をしても届けられないと伝えてありましたが、困っているだろうとつい思ってしまったけど、本人のためには良くなかったな。と思いました。
教会長さんに「失敗してしまいました。」と事情を伝えると「本人のために絶対、持って行ったらあかん。」と教えてもらい、やっぱりそうだったのかと反省しました。
帰ってから、息子に、「今日、靴忘れたけど、どうしてたん?もしかして持っていかんでも大丈夫やった?」と聞くと、「お姉ちゃんが、先生に言うてくれて、スリッパを職員室までお姉ちゃんと一緒に借りに行ってくれた。スリッパ借りてたから大丈夫やった。」と返ってきました。
その言葉を聞いて、お姉ちゃんに助けてもらって何とかなっているんや。下駄箱の場所は違うけど、お姉ちゃんに見つけてもらったんだ。息子は、スリッパ借りられて、スリッパで平気やったんだ。と子どもたちも成長しているんだと思い安心したので「じゃあ、忘れ物届けるのやめるわ。」と、伝えました。「うん。」と、あっさり受け止めてくれていました。
親も、子どものためを思うと、子どもを信じてグッと我慢ですね~。
親も子も成長が楽しみですね~。
息子がこの春、中学校を卒業しました。
振り返ると、中学1年生の時から、頭痛や吐き気に襲われ一時は入院という言葉がちらつくほど、体が弱ってしまっていました。「何でこんなことになったんだろう?息子が、何をしたっていうの?」という気持ちで、心が苦しくて苦しくてたまりませんでした。
半年が過ぎた頃、少しずつ体調が戻ましたが、学校には行けずフリースクールへ通うことになりました。
起立性調整障害で、朝起きることがつらく、午前中は、なかなか動く事ができませんでした。それで昼前になっても、諦めることもなくフリースクールに通い遅れてしまった勉強を頑張ったのでした。
当時は、私は仕事をしながら、義理の父が大病を患っていて、義父の病院への送り迎えと全然余裕がありませんでした。時間通りに動けないことにいらだち、あたってしまい自分を責めたこともありました。
そんなとき、息子が「そばにいてほしい。」と言葉にしてくれたのをきっかけに、夫と相談し、仕事を辞めてそばにいることにしました。
フリースクールでは、新しく入ってきた友達が困っていたり、友達が緊張して動けなくなっていると、優しく声をかけ、寄り添っている様子を先生から聞かせてもらい、自分ができることをしっかり発揮できていること知り、とても安心し嬉しくなりました。
色々ありましたが、無事に高校にも合格しました。息子のおかげで家族が一つになれたと思います。
何より、たくさんの方に関わって頂き助けていただいたこと、サンガのみなさんに話を聞いていただいて、心を楽にしてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。私一人ではどうすることも出来ませんでした。
私は、こうあるべきだとか、こうしないといけないと思ってしまいます。知らず知らず、息子がSOSを出していたのに、気持ちをおしつけてしまい、心を傷つけていました。
法座で相談すると
「人は変えようとしてもかわらない、。自分がワカルと相手がカワル。自分が変わることで、相手がカワル。相手の姿は自分の鏡。」と教えてくれて頂きました。ありのままを受け入れる事が出来るように、息子と向き合いました。頭でわかっているつもりですが、なかなかできず、苦しかったです。でも、少しずつ息子の現状を受け入れることが出来るようになりました。すると、自分の気持ちも楽になるのがわかりました。
これからの新生活、楽しんでほしいです😊
3月16日(土)は、支部でお彼岸の供養がありました。
私は、ご供養のお願い用紙の締め切りまでに戒名を書くのが、なかなか大変でした。
昨年から、戒名を筆ペンで簡単に書くのではなく、ご先祖さまのことを思いながら成仏を願い、墨を刷って書いた方がいいよと教えてもらいました。
まず、心を落ちつけて墨を刷る時間を考えると、平日は夕食や家のことに追われていて書けませんでした。
休日に時間があるかと思ったら、休みは休みで家に帰るのが夕方になり、平日と変わらないなと思いました。
主人が休みの夕方、主人が休みの時にお願いしたら良かった。と思いました。それを主人に言うと、笑っていました。
そうしているうちに、締め切りが近づき、もうダメだ。日にちがないと思った時、主人の母に夕食作りをお願いし、ご供養のお願い用紙を書かせてもらいました。
墨を刷って試し書きをするも、子どもの墨は値段が安いせいか全然、濃くなりません。最後は、墨汁の力をかりてなんとか書くことができました。
彼岸会当日、ふと最初から、主人にお願いできたら良かったんだなと思いました。また、自分で用紙は書けたけど、主人の母や夕食を待ってくれている子どもたちのおかげさまだな。と思いました。おかげさまが見つかると、そういや、主人も、私がすっかり忘れてしまった子どもの用事も助けてくれているな。と改めて感じることができました。
法座で発表するなか、あとからだったら言えないなと思い、主人や主人の母に「ありがとうございました。」と伝えることが出来ました。
彼岸会を通して、日頃は自分がしなければならない。と思っていることはお願いすることも大事だな。家族の協力の元に日々が成り立っていることに、改めて感謝の気持ちにならせて頂きました。
3月10日は、私の誕生日です。
今回、少年部長のお役をいただいて支教区の少年部長のナナジマインドにはじめてのデビューでした。
宿題として『心田を耕す』の本を読んでくるようにと開催の1週間前に連絡がありました。
私の心情としては、「家事や子育てで忙しい主婦に本を読む時間があるとおもっているのか、誰の発案なんだろう??」と私の怒りの心が出てきました。
とは言いつつ、こんな機会がないと読めないよな・・・。と心を静めようかと思ったけれども、収まりませんでした。
そんな中、教会長さんにナナジマインドのお通しをする際に、怒りが収まらない気持ちを聞いて頂きました。
どう言ってもらったのか覚えていませんがww
気持ちを落ち着けて頂きました。
そして、教会の部長法座で「一緒に心田を耕すの読み合わせをさせて頂きましょうか。」と教会長さんに提案をしてもらいました。
夜、オンライン法座にて読み合わせする際に、何度も諸行無常(すべて変化する)を諸法無常を言い間違えることが何度もあったことから、諸法無我(すべて関係しあっている)に対して何か思うことがあるのかなと感じました。
実の母親に対して素直に感謝の言葉を伝えられていないことを思い出しました。
母が佼成会のご縁に触れて修行して徳を積んでくれたおかげで、今の私もご縁に触れて幸せになっているのは分かっているけれども、それを母に伝えれば母は、調子に乗ってしまうだろうと想像されて伝えられずにいるのを教会長さんに聞いて頂きました。
調子に乗る母と見る私の中に「おまえも調子に乗るなよ。」と自分の中のセンサーがをあるのかもね。と教えてもらいました。
「そうだな~」と納得する自分がありました。
次の日、健幸行で朝早く、教会に来ていた私は、ご供養まで時間があるので、思い切って母に電話してみる事にしました。
父が近くに居たら教会の話をしづらいなあと思っていましたが、母は、ちょうど寒暖差腰痛で自室で一人横になっていると話してくれました。
そこで、勇気を振りしぼって、「お母さんに謝らないといけないことがあるんだ。」と切り出しました。
「以前から、私が教会でお役をさせて頂けているのは、母が徳を積んでくれていたからだとわかっていたけれど、それを言うと調子に乗るだろうと思って言えずにいたんだ。」と打ち明けました。
すると、「そうやねん、お兄ちゃんもあんたも教会でお役をしてお母さん自慢しているねん。」
と答えてきました。
「でも、お母さんも支部の人から子供たちが立派に育ったのは、あなたのお母さんが入会して徳を積んで、あなたの旦那さんが思い通りにならない人だったから修行させてもらったのよ。その人達のおかげで、今があるので自分のおかげではないのよっと怒られている。」
と話をしてくれ、「親子そろって同じこと言われているんやね。」と笑いあい「一緒に精進しよな。」と電話を切りました。
そんなことをナナジマインドで発表すると、「親孝行になりましたね。」と担当の教会長さんに言ってもらいました。
『心田を耕す』の本を読むという縁から様々な感情が出てきましたが、親孝行につながっていくなんて思いもよりませんでした。これから少年部長として子供と関わっていきますので、親孝行な子になってくれるように育ってくれたらと感じさせてもらいました。
まずは自分から親孝行させて頂きたいと思います。
子どもたちと作ったよ~(^-^)