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長い目で見ていく

私は、健幸行の時に、『我汝を軽しめずのご著書』の「長い目で見ていく」の拝読のお役をしました。

言っても素直に受け止めくれない人はダメな人と判断しがちですが、相手に聞いてもらえない原因は何かないかと考えたりすることが重要であることや根気よく正しい働きかけが必要であることを学びました。

すると、ふとある人のことが思い浮かびました。

 

それは、お義母さんのことが浮かびました。何度も、家に早く帰って、夜は早く寝て欲しいと言ってもなかなか聞いてくれない。私は、お義母さん本人に直接言ってみたり、親戚や近所の人にお義母さんが早く帰ってきてくれないと言ってみましたが、「お義母さんは頑固だからこっちのいうことは聞かない。」「お義母さんはしょうがない。」とそういう人だと諦められている反応でした。

生前お義父さんからも散々言われていたようだし、私が言った所で聞いてもらえないかなと半ば諦めて居ました。

しかし、この人に言ってもしょうがないとみんなから、思われて何も言ってもらえないのは悲しいことではないかとも思いました。

そこで、お義母さんも教会におられたので、拝読後の感想を語る場をかりて、本人に伝えてみようと決心しました。

 

「お義母さん、帰りが遅いと帰り道で事故しているのではと心配するので、19時には帰って来て欲しいし、長生きしてほしいので、夜は12時には寝て欲しいこと」を、私は心配して言っていることが伝わって欲しいという思いでした。

お義母さんは私の思いを分かってくれたのか、その場で分かりましたと返答してくれ安心していましたが、帰宅後「お願いがあるんだけど・・・。人前で言わんといてもらっても良いか?」と言われました。

行動で示すから何も言うなと言うことか??とお義母さんの思いも聞かずに心の中でもやもやしていました。

全てを詳らかに明らかにしていくということを学ぶ機会があり、私はお義母さんから人前で言うでくれるなって言われた!!

ともやもやした事を素直に言ってみました。

「もー、かなわんなぁ。」

とお義母さんも困ってましたが、その後は2人で笑い合いました。

帰宅後もいままでのモヤモヤとした出来事をお義母さんに打ち明ける中で、私が受け取った思いとお義母さんが思っていた心の行き違いがあった事が分かり、思いは口に出さないと伝わらないのだなとその時感じました。

 

自分の言葉を受け止めてもらえないと相手に腹を立ててばかりの私ですが、私のことを思って言っていただいている事を受け止めていない事がたくさんあるのだろうなとこの経験を通して感じさせて頂きました。

これからは、相手の思いを感じられる私になってゆきたいです。

 

たまにはまったり~

DATE:2023年9月10日

優先順位

私は、仕事を定時に終われるように、仕事の中で優先順位をつけるようにと、上司から教えてもらい意識をして過ごしています。

 

休日、梅雨が明け、前からやりたかった毛布を洗いました。すると、布団のシーツも、洗いたくなり布団をめくると、湿気で1枚の布団がカビていました。

 

見なかったふりをしたい気持ちになりましたが、以前から、私の布団もぺっちゃんこで、腰が痛くなるので、ずーっと買い換えたかったのもあり、カビた布団も含めて思い切って、捨てに行こうと思いました。

 

午後、子どもたちと一緒にごみ処理場に持って行き、積み重なる布団の山を前に、子どもたちに、この布団は○○が産まれた時に買った布団やで~。と話しながら「今までありがとう。」とみんなでお礼を言いました。

 

帰り道、新しい布団を買いに行き、子どもたちは、ルンルンの中、家に着いたのは夕方。1日が終わり、振り返ると、最初は毛布を洗おうと思った日だったけど、布団を買いに行くことになり、そもそも、毛布を洗うのは、お盆休みでも良かったのかも知れない。他にもやらなければ行けなかったことはなかったのかと思い、優先順位をつけて日々を生活するの難しいなぁ。と感じ、買い換えられたことに素直に喜べませんでした。

 

その2週間後、まさかのコロナにかかり何日も、寝て過ごすことになりました。しんどい中、あの日はムダじゃなかったんだ。頑張って良かった。布団を買えて良かった。と思えました。

 

何が起きるか分からないから今だからこそ、今しないと行けないことをすぐにやることが大切だったんだな。とこれからは、意識して過ごしていきたいなと思いました。

 

京丹後市久美浜町 小天橋

 

DATE:2023年8月6日

自分の鏡

うちの長男は、起立性調節障害になり、あまり学校へ行けていません。最近、部活動には参加がでるようになり、いきいきとしてきました。

 

そんなとき、週末に卓球の試合があり、「行けそうかな?行けそうなら頑張ってみな。」と声をかけました。すると長男は、「…うん。」と返事しました。前日には用意をし、明日に備えて早く寝ました。

 

翌朝、時間になっても起きてこないので、「どうする?」と声をかけました。「う〜ん…」というだけで、起き上がろうとしません。前日まで行く気があるようだったので、ぜひとも行かせたい!という気持ちで私はいっぱいになりました。

 

「現地まで行って、そこで考えようか?」と言って体を起こさせるのですが、全然動きません。

 

「連絡を入れないと先生たちに迷惑かけてしまうから、どうするのか決めて」と私が言うと、長男は泣きながら物に当たりだし、「行かへん!この部屋から出てって」と言います。

 

私は訳がわからず、「どういうことなん?昨日は行くと言っていたのに、そんな急に思い変わるか?」と大声で言うと、しばらく沈黙し「元々、行きたくなかった。けど、皆のために行こうと頑張っていたんや」と泣きながら答えました。

 

その言葉を聞いて、自分の気持ちは置いて、人のために動こうと頑張っている優しい気持ちに気づきました。でも、感情が高ぶっていたので、「まずは、自分がどうしたいか?だろう。人のことは自分のことができてからや!」と怒鳴ってしまいました。

 

言い合いのあと、私は教会で『相手は自分の鏡』と教えて頂いたことを思い出しだしました。

 

私はどうだっただろう?と考えていると、私自身も人の要望に答えないと!と思い、できる気がしないのに断れず、ギリギリになってやはり出来ない…とお断りしていたことに気がつきました。

 

今回のことを主任さんに聞いてもらい、「大変だったね。長男には怒鳴ってしまったことだけ謝ったら良いと思う。お互いが思っていたことを吐き出せて、良かったと思います!気づきが素晴らしい!」と優しい言葉をかけてもらいました。

 

落ち着いてから、長男に怒鳴ってしまったことを謝りました。そして、「私も、同じようなことを人にしていたから反省したよ。教えてありがとう。」と伝えました。

 

自分のことは置いといてでも、人のために動こうとした優しい長男の気持ちを知り、素敵に成長してくれたんだとやっと気がつけた私でした。

熱中症に気をつけてね~。

 

 

DATE:2023年7月9日

夢物語

私は、何か気になっている時はもちろん、意識していないことでも、すぐに夢の物語に出て来たり、ハッと思い出して、目が覚めたりします。

 

先日も、教会がある地域の掃除があるから、出て欲しいと声をかけてもらいました。日曜日の朝は、ゆっくり休みたいけど、若いものが頑張らないとと、思い直しましたが、心のどこかでは嫌だな。と思っていたのか、すみません。熱が出て行けなくなりました。というくだりの夢を何回か見て朝になりました。でも、現実は元気で掃除に行きました。

 

その週は、仕事のことが夢に出て来ました。夢を見た次の日は、またこんな夢を見たわ。私って結構、意識してたんだ。と気がつくバロメーターと思い、話のネタにして、深刻に思っていませんでした。だんだんと、頻度が増してくると、もう疲れるわ。という気持ちが湧いて来ました。

 

夢の中で、忘れていたことを思い出させてくれたり、これはどうだった?と気がつかせてもらったりするのは助かることもあるのに、夢の内容が、マイナスな展開のせいもあり、もう夢を見るのが嫌だなぁ。これは何を教えてもらっているのか?と思っていたので、このことを職場の方に話をしました。

 

すると、「こんなことがあったから、未来もそうなると思ってしまうけど、いつも教えてもらっているのは、『物事は変化する。』ということだから先は分からない。今を大事に生きることを大切にされたらどうですか?」と言ってもらいました。

 

確かに、先のことを想像して不安になっている私。
夢を見たら見たでそうなんだと受けとめて行くだけでいいんだなぁと思えました。

 

夢の中では、支部長さんが出演してくれるときもあり、出演料もらわな。笑と返してくれた時もありました。どうせリアルな夢を見るなら…楽しい夢や出会いたい人が出て来てくれたらいいなぁ…と、明るく受け止めて行きたいなと思いました。

 

トンボのメガネは、水色メガネ~🎵

DATE:2023年6月11日

心の支えを生かして

5月13日(土)WCRP日本委員会青年部会発足50周年記念の記念式典・シンポジウムが京都教会で開催される為、福知山教会から12名参加させて頂きました。

シンポジウムでのお話では、宗教とは心の支えである、つまりは体を支える杖と表現されました。その杖は自分が良いと思ったものを選んで使うべきであるし、杖を武器に人を傷つけてはいけないと語られました。

 

また宗教者としての使命として、「相手を認める事」だと教えて頂きました。
他者を理解し受け止める為に必要なことは自己理解を深めることである。
自分が感じる怒りや執着、嫉妬、卑屈等の気持ちを
「自分自身がこんな気持ちの自分はだめだ」と否定すると、
そんな気持ちを抱いた他者をも否定してしまうことに繋がってしまう。
自分自身の中で
「この気持ちや感情は抱いて良いんだ。」と認めて受け止めれることで相手を認めて受け止めることができるようになる。
相手の縁を通して学んでいくことばかりであると感じさせて頂きました。

 

世界平和には武力は必要なく、人の心が最大の武器であることを学びました。
祈りとは行動する事、他者との心を通じ合わせることがなりより大切であると思いました。

 

私自身、現在、主人に対して毎日意識して感謝を伝える事を実践中です。

違いがあるからきれい✴️だね💓

DATE:2023年5月14日
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