4月2日(日)に、近畿支教区の教務員さんに来て頂き、青年部のサンガデザインを近畿支教区において
第七次の「ナナジマインド」信仰を楽しむとは、どういうことかと教えてもらいました。
お昼には、桜🌸の木の下で、お花見をしました。
午後からは、元内閣総理大臣 芦田均記念館に行き、お墓参りをしました。
教務員さんは、ものの見方をりんご🍎を例に、
りんごを見て、思うことは人それぞれです。赤い、丸い、美味しそう、青森、万有引力、等々。
感じることは、一色でない。ということを思って。その思いを大切にして欲しい。と教えて下さいました。
私は、小さい頃から相手と違う意見の時には、自分は間違ってるかも。と思い、右に習えで同じようなことを言っていたことを思い出しました。それは、佼成会の法座の中でも、何か今日、言葉を言わないといけない時は、いいことを言わないとと思っていました。ありのままに、反対のことを言う人に対して、そんなこと言わなくていいのに。と思っていました。最近は、感じたことを伝えているつもりでしたが、よく考えると、相手に納得してもらえるようなことの話をしている自分だな。と気がつきました。
その中には、ちゃんとしたことを言わないといけない。バカな人に思われたくない。という意識が働いて、自分でハードルを高くしていたように思います。
わたしは私で、自分らしくを大切にしていきたいと思いました。
1日の終わりの振り返りでは、芦田記念館やお墓参りに行き、参加者が見ていたところがそれぞれ違い、そんなものあったっけ?というまさに、りんご🍎の見方だな。と実感することができました。
福知山市六人部
新社会人、新学年を迎えた皆さん、おめでとうございます。桜が、満開を迎えて、門出をお祝いしてくれているようです。
3月31日(金)教会の法座の中で、法座主さんから、「私は、月の終わりを大事にしています。年末の12月31日に、大掃除をして、新年を迎えるのと一緒の気持ちで、ご宝前を掃除してきました。」と、話をして下さいました。
私は、4月から新しい職場で、働くことになっているせいか、新年度を今までにないくらい意識していている私だな。と感じているところでした。
法座主さんのお話を聞かせてもらい、毎月、月の終わりに心の中もきれいにして、月の初めに新たな気持ちを持って、スタートしたら、同じ日常に、めりはりが、ついて充実するんだろうな。と思いました。
この年齢になって、新社会人になった時のように、一から始まるというようなワクワクとドキドキを味わうことになるとは、思いませんでした。そう思うと、人生って何がどうなるか分からないな。とつくづく思いました。
新たなチャレンジだと思い、子どもに後ろ姿を見せられるように頑張ります!
お花見🌸に、行かれましたかぁ~?
3月19日(土)に、入園・入学・卒業祈願、20歳・10歳祈願、ドリームカプセル開封式をまとめて、スプリングセレブレーションというお祝いを行いました。
第1部は、祈願供養を青年部がドキドキの中、チャレンジしてくれました。教会長さんのお言葉の中で、『みんなが嬉しくなり、喜んでくれることをしよう』ということを教えて頂きました。
第2部では、それぞれの子が、人生の節目を迎え、将来こんな人になりたい。次の学校に行ったら、こんなこと頑張りたいと、希望を持って発表してくれました。その後は、お楽しみレクリエーションをしました。人が集まってくれたおかげで、活気が出て、とっても楽しそうでした。
ドリームカプセルを読んでくれたSさんは、将来、お花屋さんになりたいです。とかわいいイラスト共に見せてくれました。小学2年生の我が子が、めんどくさいと言っていましたが、やっと書く気になりました。ご縁にふれさせてもらって良かったなぁ。と思いながら、10年後が楽しみです。
10歳を迎えた我が子を見て、生まれた時から節目、節目に皆さんにお祝いをしてもらい、嬉しく思いました。今の年齢は、友達同士でのもめ事に悩む学校生活を送っています。色んな人の中で、経験をして成長させてもらっているんだな。と思っています。親子共に、喜んでもらえる人になれるように、頑張りたいと思いました。
夢に向かって、頑張って✊‼️
23日は、娘の小学生の卒業式です。入学した時は、こんな小学校生活になるとは、夢にも思いませんでした。
5年生の終わり頃から、なぜか学校に行けなくなりました。友達からいじめられているわけでも、勉強がイヤな訳でもないのに、学校に行こうと思うと行きたくなくなると言う娘を見て、私はなんとかして学校に行かそうと思い通りにならず、イライラしていました。
主人は、平日は仕事で家にいないので、私は毎朝、あの手この手と、色々考えて試してみました。小学校のカウンセラーに聞かせてもらうも、うまく行きません。そんな時、支部長さんに相談し「あなたは人の心配を一生懸命して精進してたらいいんや。」と教えてもらい、その言葉がなぜか、スーッと心に入ってきました。
その後何日かたち、娘は、学校になぜ行けないのか本人も理由がわかない中で、苦しみ悩み頑張っているんだと思えました。私は、学校に行かせる事を目的にしていました。それからは、娘に寄り添おうと、今日は、学校に行くのか行かないのかを娘に選択をしてもらい、行かない時はタブレットで勉強を少しずつですが頑張るようになりました。
6年生になっても、数回しか学校に行けず、色々な娘の姿を見て、腹が立つ気持ちがわいた時もありましたが、学校には、行けてなくても、家にとじ込もっているわけではなく、身体が悪くて寝ているのではなく、元気にしている姿を見てそれでいいんだと思えました。娘に寄り添い支えてくださる先生、そして、学校に行った時に普通通り接してくれたり、休んでいても遊ぼう。と誘いに来てくれる友達がいます。
娘は卒業式に出ようと思えるようになり、葛藤の中でしたが、なんとか頑張って行くことができました。
制服もできて中学生になったら、ちゃんと学校に行く!と言って楽しみにしている娘を見て嬉しくなりました。
私を精進に向かわせてくれる娘。
卒業おめでとう🎉
中学生、楽しみだなぁ🎵
96年前、昭和2年3月7日 午後6時27分 マグニチュード7.3
最大震度6を記録する大地震が丹後地方で発生しました。
夕食時でもあった為、台所や風呂のかまどで薪が燃え、家屋は火種を抱えたまま倒壊し、被害は死者2925人、負傷者7806人に上り人口あたりの死者数は関東大震災を上回ったそうです。
私の祖父は、震源地でもある京丹後市出身で、実際に被災しており、祖父母の親戚や、家族も犠牲になっていたこともあり、祖父は、父に、この被災体験をよく話して聞かせていたそうです。
私自身も、幼い頃から父に丹後震災の話をよく聞いていました。なので、物心ついた頃から、3月7日の同時刻に、毎年サイレンが鳴るのと同時に、手を合わせることが当たり前に思うような環境で育ちました。
私は、今年も慰霊供養のお手伝いを少しでもさせて頂ければと思い、仕事も休みを頂いていました。
ところが、子どもがインフルエンザにかかってしまい、看病をしないといけなくなり、現地には行けなくなりました。慰霊供養の様子をYou Tube配信してくださっていたお陰さまで、支部と、自宅を行き来しながら、リモートで慰霊供養に参加させて頂くことができました。
そして翌日、職場の同僚から、「昨日は、休みを前もって入れてたけど研修だったの?」と、連絡がきました。
彼女には、私が佼成会の信仰をしていることを話していたので、正直に伝えてみることにしました。
「昨日は、丹後震災の日で、96年前の出来事ですが、私の祖父もこの震災を経験していて、父に被災体験をよく話していて、祖父母の親戚や家族も犠牲になってしまわれたと、私も父から話に聞いていたので、毎年、佼成会で慰霊碑の前で慰霊供養をさせてもらっていて、父も亡くなる前にこの慰霊供養を主となって頑張っていたので、私も今年もお手伝いをと思って、前もって休みを頂いてたんだ。」
と伝えると、
「震災が3月だということは知っていたけど、日にちまでは知らなかった。でも、もう忘れないよ。前に主人と慰霊碑にお線香持ってお参りしたことがあるんだけど、今からお参り行ってくるわ!」と、返事があり、彼女はすぐに京丹後市にある慰霊碑にお参りされ、慰霊碑の写真を送ってくれました。
そして、「京丹後市の方が、テントや献花台を撤去に来られていたり、おばあちゃん達がゴミ拾いをされていたのを見て、地域の方のお陰できれいに保たれてるんだね~。」と、教えてくれる彼女に頭が下がりました。
話を聞いて、手を合わせに現地にまですぐに行かれるその行動力と、真心に感動し、そして、私達の知らない影のお役を地域の方がしてくださっていることを彼女から教えて頂き、伝えてみて良かったなと心から思いました🙏✨
生きたくても生きられなかった方々の思いを胸に、今、生かされている自分の命をどう使うか…を考える機会となりました。
自分は大丈夫だろう…。と、どこかで思ってしまっていたなぁ。と反省し、いつ災害は起こるか分からないので防災対策、避難グッズの準備を今一度、確認しようと思います。
震災の日もこんないい天気だったそうです。